NASOオーナーインストラクター
柳田満彦について
伊豆海洋公園と柳田について
今日のNASOを知るうえで切っても切れないのが NASO主宰柳田満彦(1961年5月1日生まれ)と故益田一先生(元東海大学潜水訓練実験所所長)との出会いです。
もともと、今の伊豆海洋公園ダイビングセンターはかつて東海大学付属潜水訓練実験所であった時代がありました。そこでは主に関東近郊の大学などから潜水を学ぶ強い希望のある学生が集まり、所長である益田一先生の元に門下生として弟子入り(当時はそんな感じでした)し合宿生活の中でスキューバダイビングと海洋生物を学び研究をする施設でした。益田学校と呼ばれることもあり将来の海の人材の育成の場でもあったのです。海中作業やレジャー、海の研究のレベルは高いものがあり、特に魚類に関する図鑑制作では日本で初めてのカラー生態写真による魚類図鑑出版(東海大学出版会海水魚図鑑は20万部を突破)など当時の水産魚類学会をリードする画期的な成果でした。また、益田学校のもうひとつの大きな特徴として『フリッパー主義』がありました。安全潜水を考えるうえで健康とフリッパー泳力は欠くことのできない大切な基礎であり、益田氏は当時からフィンを履いて泳ぐフリッパーにもうひとつの重点を置いていました。そのトレーニングはかなりキビシイことでも定評があり、合宿中のキビシイ訓練に耐えられなくなり夜逃げをする者も珍しくなかったほどです。柳田は当時(1986年)東海大学海洋学部1年生の時に益田学校の門下生になりスキューバダイビングを学び始めました。
学生時代からフリッパーで益田氏に認められ、時にはキビシクまたとても大らかな氏の指導のもとでスキューバダイビングに打ち込んできた柳田は、その後大学卒業とともに益田の会社(益田海洋プロダクション)に就職、働きながらさらに経験と修行を積み重ねその後1992年に独立、現在のNASOに至りました。時代はバブルに突入し、日本が豊かになりレジャーとしてのスキューバダイビングが一般の方々に急激に広まっていったのも丁度そのころです。今も貫かれているNASOのテーマ『健康とフリッパー主義』、そこには益田氏から柳田が受け継いだスキューバダイビングの根幹である大切な思想と歴史があるのです。
オニベニハゼ (Trimma yanagitai)
深場に生息するとても珍しいベニハゼ属の一種で、伊豆海洋公園(IOP)にてNASOオーナー柳田によって発見されました。2007年3月に日本水産学会にて新種として登録、正式な名前がつきました。学名はTrimma yanagitai 発見者に敬意を表するという意で論文発表者から名前を授かりました。IOPでは、深場で遠いところに住んでいるためなかなかお見せすることができませんがその美しい模様と色には目を見張る格別なものがあります。